- お勧め度: ☆☆☆(映画も良かった)
- 対象年齢: 15歳以上(中学生以上かなぁ)
- 初発表年: 2007年

あらすじ
1944年(昭和19年)2月、絵を描くことが得意な少女浦野すずは、広島市江波から呉の北條周作のもとに嫁ぐ。戦況の悪化で配給物資が次第に不足していく中、すずは小姑の黒村径子の小言に耐えつつ、ささやかな暮らしを不器用ながらも懸命に守っていく。しかし軍港の街である呉は1945年(昭和20年)3月19日を境に頻繁に空襲を受けるようになる。同年6月22日の空襲で、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾(地雷弾[3])の爆発により、すずは姪の黒村晴美の命と、自らの右手を失う。意識が戻ったすずは径子に責められる。同年7月1日の空襲では呉市街地が焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下した。見舞いにきた妹のすみは、江波のお祭りの日に実家に帰ってくるように誘う。その当日である8月6日の朝、径子はすずと和解し、すずは北條家に残ることを決意する。その直後に広島市への原子爆弾投下により、爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、広島方面からあがる巨大な雲を目撃する。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは家を飛び出し泣き崩れる。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、草津にある祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は既に亡くなっており、すみには原爆症の症状が出ていた。廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻った。
戦争と日常と
「この世界の片隅に」は、夕凪の街の世界を山を隔てた呉から描いた作品です。
一話一話の中に起承転結があり、一話だけを見ると戦時下の日常が淡々と書かれているだけのようですが、連続して読むと徐々に生活が困窮していく様子や戦火が身の回りに迫り、やがて原子力爆弾として焼き尽くしていきます。
ふんわりとした絵と淡々とした語り口、ぼーっとしたというか飄々とした主人公なので悲壮感はあまりないのですが、この世界には厳しい現実があります。淡々とした日常の中に、戦争や死という非日常が徐々に溶け込んでいくのです。
非日常である戦争を書いた漫画や小説はあっても、日常の中に溶け込んでいく戦争を書いたものは少ないのではないでしょうか。。
世界のどこかでは
今、このブログを書いている最中にも、世界には紛争や戦火に巻き込まれている地域があります。今は平和に見える日本も、いつ戦争に巻き込まれるかわかりません。
「この世界のあちこちのわたしへ」という一言から始まる物語は、すずの物語でもあるのですが、大きな力や大きな流れに奔走させられる自分自身の物語でもあるのでしょう。
戦時中の暮らしと庶民の強さ
「この世界の片隅に」は戦時中の暮らしを知る本としても役に立つのでしょう。そして、物資が減っていき、建物が減っていき、人も減っていく中での庶民の力強さも描かれている気がします。
はだしのゲンに出てくる庶民は、もっと戦争万歳で好戦的な感じな上に、もっとギラギラしていますが、実際は「この世界の片隅に」の世界のほうが近かったのではないでしょうか。
映画も良いです
この記事を書いている2017年2月現在、映画がロングラン上映されています。戦争が日常にある怖さやすずの強さがわかる良い映画でした。原作のほうが映画よりもより淡々とした印象がありますが。
そして、2017年夏には北米でも上映することが決まったようです。トランプ政権下のアメリカにこの映画のメッセージがどのように届くのか楽しみです。